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◆生活文化・エネルギー◆     江戸時代の大阪城で水銀汚染

大阪城は二代将軍秀忠によって修築され,現在のお濠もそのときに造られたものである。大阪城内に降った雨はお堀を通って外へ流出しており,お濠の堆積物は江戸時代以降の城内の歴史を物語るものである。堆積物を年代ごとに調べた結果,江戸時代の堆積層で水銀が異常に高い値を示すことが分かった。現在の大阪湾や淀川の濃度と同等レベルまで汚染されていた。水銀は,江戸時代には防腐剤や顔料・火薬・鍍金などの材料として利用されており,その結果,お濠の水銀濃度が高くなったものと考えられる。

江戸時代の環境汚染を探る;大阪城のお濠堆積物に記録されていた重金属汚染の歴史

(近畿大理工・大阪市大院理)○山崎秀夫・坂口裕子・澤田収俊・稲野伸哉・廣瀬孝太郎・三田村宗樹・吉川周作
[連絡者:山崎秀夫]

大阪城は二代将軍秀忠によって1619年に修築され,現存する濠もこの時に掘削された。従って,その濠堆積物中には江戸時代初期から現在までの環境変遷が記録されていると考えることができる。大阪城に降った雨水は濠に流入し,大川(旧淀川)へと流出するので,濠は城から排出される汚染物質のシンクの役割を果たしている。また,明治初期から第二次大戦末まで城に隣接して陸軍砲兵工廠が設置され,周辺環境に影響を与えていたとも考えられる。従来,わが国では戦後の高度経済成長期の環境汚染に注目が集まっていたが,著者等の検討では第二次大戦前にも顕著な重金属汚染が存在したことが明らかになってきた。本研究は,大阪城濠堆積物を用いて,江戸時代以降の環境汚染の歴史トレンドを明らかにしようとするものである。
江戸時代の堆積層で水銀以外の重金属元素はBG濃度であったが,水銀については高い濃度を示した。最深部では0.11ppmとほぼBG濃度であったが,それ以浅の江戸時代の堆積層では0.25〜0.81 ppm(0.50±0.17ppm)を示した。この濃度は自然負荷濃度の約5倍であり,右図に示すように大阪湾や淀川河口の現世の汚染された堆積物と比べても高度に汚染されているといえる。水銀は古くから防腐剤,顔料,火薬,鍍金などに利用されてきたので,大阪城内で用いられたものが雨水と共に濠に排出され,その堆積物を汚染した結果であると考えられる。