◆医療・生命◆  胎児が子宮内で曝露した化学物質を歯のエナメル質で知る
 胎児がお母さんのおなかにいる間に曝露された化学物質は,胎児期,乳幼児期,又はその後の成長過程に何らかの障害を引き起こすおそれがある。化学物質の種類,量,曝露時期により生体への影響は異なると考えられることから,ある物質の影響と子宮内での曝露レベルとの関係を明らかにすることが非常に重要であるが,これまでそのための手法がなかった。乳歯のエナメル質は胎生から出生後初期までの限られた時期に形成されることに着目し,非常に薄いこの層に含まれる化学物質のみを測定する方法を提案し,神経毒性を持つ鉛の子宮内曝露評価手法を開発した。
【1D14】         LA-ICP-MSによる歯の局所分析

  (東大・院・新領域)○瓜生 務・吉永 淳(横河アナリティカルシステムズ)遠藤政彦・高橋純一
       [連絡者:吉永 淳]

 ヒトが生まれる前に母親の子宮内で化学物質に曝露したら、生まれてきた子供にどのような影響があるのであろうか? 胎児期は一般的に化学物質などの影響に対してきわめて敏感であることはよく知られている。曝露を受ける化学物質の種類、曝露の大きさとタイミングなどによって、胎児死亡、先天異常といった重篤な例から、ごく軽微な行動上の異常まで、さまざまな障害が起こりうる。一方、一見何の異常もなく生まれたように見えた子供であっても、乳幼児期、学童期、思春期になってはじめて子宮内で受けた化学物質曝露の影響が現れることがあることは、環境ホルモン問題などでよく知られていることである。化学物質の生体影響を評価する場合、曝露レベルと影響を結びつけること(Dose-Effect Relationship)はもっとも基礎的な研究事項であるが、たとえば学童期になってはじめて現れた影響と、子宮内での曝露を結びつけて解析することは、確かな子宮内曝露評価手法を開発しない限り困難である。
 本研究では子宮内化学物質曝露評価手法の確立のための研究プロジェクトの一環として、子宮内重金属、特に鉛、の曝露レベルを評価するための乳歯エナメル質の分析を試みた。鉛は神経毒性を持ち、学童期の発達障害との関連が欧米で取りざたされている。乳歯切歯(前歯)エナメル質は、胎生4ヶ月くらいから形成が始まり、生後1ヶ月くらいで形成を終える。形成後は血流が途絶えるために、エナメル質はこの期間の間に受けた曝露のみを記録しているはずである。したがってエナメル質に含まれる鉛の濃度を測定できれば、神経系の発達途上にある胎児期の鉛曝露レベルを推定することができる。また乳歯は学童期に自然に脱落して永久歯に生え変わるために、対象者に苦痛を与えることなく採取できる生体試料であり、こうした意味で理想的な試料である。しかし唯一の問題は、子宮内での曝露をよく反映すると考えられる乳歯切歯のエナメル質は300ミクロン程度の薄い層にすぎない点である。そこで本研究では10ミクロン程度の位置分解能と高い感度をもつ、レーザーアブレーションICP質量分析(LA-ICP-MS)システムを用いて、歯のエナメル質中鉛濃度定量法を検討した。Nd-YAGレーザーを100ミクロンに集光・照射し、そのエネルギーによって試料表面から飛び出したエナメル質微粒子をアルゴンICPでイオン化して鉛を検出するシステムである。鉛濃度既知の動物骨粉末をペレットにしたものを試料として、繰り返し再現性、定量性などを検討したところ、(1)乳歯の濃度レベル(1 mg/kg)の鉛は容易に検出できる感度を有すること、(2)エナメル質のみの分析が可能な位置分解能があること、が判明したが、(3)試料の物理化学的組成が鉛のシグナルに影響を及ぼすこと、があわせて見出され、定量性の点で今後いっそうの検討が必要である。