生活文化・   頭髪を用いて人体の鉛汚染史を探る
 エネルギー

 海底や湖沼の堆積物を分析して環境汚染の歴史を探る試みは多い。一方,人体のような有機物は試料の保存が難しく,汚染の歴史を調べることが難しかった。本研究では,「かもじ」などの形で保存されてきた人の頭髪に着目し,20世紀初頭から現在にいたる,様々な年代の頭髪中の鉛の濃度と同位体比を分析した。その結果,20世紀初頭の頭髪には現在よりもはるかに高濃度の鉛が検出され,また,同位体比からオーストラリア産の鉛の影響が示唆された。頭髪中の鉛濃度の変化は,堆積物中の鉛濃度の変化とは異なり,人体への汚染の変遷は,環境への汚染の変遷と異なることが示唆された。

【A2002】      保存されていた頭髪の安定同位体分析に基づく近現代鉛汚染の歴史復元

(北里大医療衛生・東大院新領域1)松本恵・○吉永淳1 
[連絡者:吉永淳、電話04-7136-4716]

 過去から現代にかけて環境の質がどのように変化してきたかを調べ、人間活動が環境に与えたインパクトの大きさやそれが始まった時期などを読み取ることができる。こうした研究には極地の氷、海や湖沼の堆積物、木の年輪などが用いられることが多い。人体は有機物でできているために、過去の試料が残りにくく、適当な試料がない限り、人体の有害物質汚染の変遷を調べることは簡単ではない。そのため、環境汚染の歴史をもって人体汚染の歴史と読み替えることが一般的である。
 本研究では1910年代から1968年に「かもじ」や針山の詰め物用として切られ、保存されてきた日本人女性の頭髪を使用して、鉛の人体汚染の変遷を調べた。とくに鉛の産地によって値が異なることが知られている鉛安定同位体比を測定して、わが国の近現代の産業発展とともに変化した鉛利用と人体汚染の関連を調べることとした。なおこの女性の頭髪試料は東大・医学部・人類生態学研究室が1980年代に関東・東北地方より収集し、保管してきたものの提供をうけたものである。また東京湾の堆積物に関するHiraoらの鉛分析データ(1986)と比較しながら、環境汚染と人体汚染の変遷の相違にも着目した。

1910〜1968年の頭髪40人分と2004〜2007年に入手した現代の頭髪5人の計45人分を試料とした。鉛分析はICP質量分析法によった。もっとも古い1910・20年代の試料は鉛濃度が100 mg/kgを超えるきわめて高い値であると同時に、同位体比もきわめて大きく、当時日本に輸入されていたオーストラリア産鉛による人体汚染が推定された。その後頭髪中鉛濃度、同位体比とも概ね低下傾向を見せるとともに、特定の輸入国からの鉛の影響は見いだせなくなった。Hiraoらの堆積物のデータと頭髪データを比較すると、頭髪の同位体比は東京湾堆積物と比較して大きい年代毎の変動をみせ、同位体比の値もかなり異なっており(図)、鉛濃度の変遷もまったく異なるものであった。わが国の近現代を通し、環境と人体の鉛汚染はかなり異なるメカニズムで進んだものと考えられ、環境汚染の歴史をもって人体汚染のそれと読み替えることができないことが示唆された。