生活文化・       わずかな剥離片から美術館漆器工芸品の漆の違いを知る
 エネルギー

 熱分解ガスクロマトグラフ/質量分析計を用いて、漆器工芸品の有機塗膜の樹脂同定について検討を行った。本装置は試料を加熱し、発生した熱分解ガス成分を分離し質量分析計で検出するものであり、試料前処理が不必要で、0.01〜1 mgという微量の試料量でも分析が可能である。美術館所蔵品を修復する際に得られた剥落片2試料について分析したところ、各々異なる種類の漆を用いて製作されていることがわかった。このように漆器製作に使用された漆や樹脂についての情報は収蔵品の保存修復に役立つとともに、当時の原料調達を反映するものとして大変興味深い。

【P2057】             歴史的工芸品の塗膜分析

(日本電子データム(株)ITC・明大理工1)○新村典康・宮腰哲雄1 
[連絡者:新村典康、電話:042-542-5502]

 これまで、考古学の分野では歴史的工芸品の分析は文献史学的な調査が中心であった。工芸品は出土した地層から年代が推定された後、磁器、陶器、土器、瓦、金属製品、木製品、石製品などに分類される。その後、計量や形状、形態の観察が行われ、絵柄や模様などからより正確な年代と生産地が特定される。しかし、近年、分析機器の目覚ましい発展に伴い、電子顕微鏡によるミクロな形態観察、電子プローブマイクロアナライザーや蛍光X線分析装置による元素分析、同位体元素分析による年代測定など様々な科学分析法が導入されている。これらの科学的分析法はこれまで不明であった材料を同定し、大まかな年代測定値に正確な値を与えている。これらの新しい分析法による知見はこれまで常識とされてきた歴史を塗り替える可能性さえ秘めている。
 今回、我々は美術館所蔵品の有機塗膜を科学的に分析する手法を検討した。有機塗膜は壁画などに用いられている無機塗料と異なり限られた元素のみで構成されている。そのため、電子プローブマイクロアナライザーや蛍光X線分析装置、オージェ電子分光装置などの元素分析装置では塗膜を同定するための十分な情報を得ることは難しかった。また、有機化合物の分子構造解析装置であるフーリエ変換赤外分光光度計は官能基などの部分構造情報に留まり、核磁気共鳴装置は溶媒に可溶な単一成分には十分な情報を与えるが、溶媒に不溶な複合材料の解析には分解能が不足していた。これらに対して、熱分解ガスクロマトグラフ/質量分析計(Py-GC/MS)は塗膜の同定に有効な情報を与えた。Py-GC/MSは熱分解装置で試料を加熱し、発生した熱分解成分をガスクロマトグラフ/質量分析計で分離分析する複合分析装置である。この装置の特徴は試料の前処理が不必要であり、しかも分析に必要な試料量が微量(0.01〜1mg)であるため、短時間で貴重な試料を浪費することなく分析できる点である。今回、美術館所蔵品を修復する際に得られた剥落片2点を本法を用いて分析した。その結果、これらはRhus vernicifera漆塗膜(中国、朝鮮、日本に生育)とRhus succedanea漆塗膜(北ベトナム、台湾に生育)であることが明らかになった。
 Py-GC/MSによる科学的な同定法は、従来の文献史学的な調査方法とは違った角度から新たな情報を与え、今後考古学や保存科学の発展に大きく貢献することが期待される。