分析化学会会長メッセージ
 国民の皆さん、分析化学会は面白いですよ

 2009年4月から、2年任期の会長を拝命致しました中村です。どうぞ宜しくお願い致します。社団法人日本分析化学会は1952年に設立され、我が国の分析化学研究・教育の発展に貢献して参りました。人間に例えると「アラ還」で、2011年に創立60周年を迎えます。日本分析化学会の会員の皆様には会員誌「ぶんせき」で抱負をお伝えしてありますので、この欄は社会一般の方を対象にして所感を述べさせて戴きます。

 分析化学(Analytical Chemistry)は原子、分子、イオンなどの分離法や測定法に関する新しい原理・方法論の開発などに関する学問領域ですが、その応用は単に試料をハカ(測・量・計)って値を出すだけではなく、試料の機能解析や評価にも利用されています。分析化学は研究室や実験室だけではなく、国民の皆さんの生活に広く関係しています。例えば、最近、ハリセンボン(お笑いコンビ)の箕輪はるかさんのような若い方に肺結核が流行し始めていることが話題になっておりますが、この病気の検査には胸部X線検査が使われます。ここで利用されている原理は、X線の透過率が元素によって違っていることであり、肺結核に罹っていると病巣が白く映るようになっています。このように、分析化学には目に見えない情報を映像や数字で可視化できる特性がありますので、世の中の不思議を解き明かす道具としても大変役立ちます。

 この数年、食品の産地偽装、ギョーザ中毒事件など食の安全を脅かす事件が続発しています。昨年も牛乳や粉ミルクの中にメラミンが混入される事件が報道されましたが、「分析」抜きではどんな名人や達人でも混入されていることを見抜けません。メラミンに限らず、現在現場で行われている分析操作では、例え目的物質を相当に精製できたとしても、微量の混入物を自分の目で確認することは殆ど不可能です。しかし、試料に添加されたメラミンを他の成分から分離し、その化学構造に基づく特性を利用すれば定性・定量が可能になります。このように、比較的容易に情報の可視化が可能になった背景には、機器分析法の進歩が大きく貢献しています。また、それを支えているのがコンピューターを駆使した情報科学(Information Science)であることから、近年は「分析化学」の実体を「分析科学」(Analytical Science)と捉えるべきであるとする主張も少なくありません。

  1980年代に所謂環境ホルモンが社会的な問題となり、また世間を騒がす事件に様々な毒劇物、乱用薬物などが使用されている事例が蓄積するにつれ、「化学物質」が悪者扱いされる傾向が強まっています。しかし、我々の体を構成している筋肉、皮膚、骨、歯、血液など、その全てが化学物質ですし、食品、栄養素、ビタミン、医薬品など人間の健康に必須なものも化学物質です。分析化学的な知識や手法は、悪玉にしろ善玉にしろ、これら全ての化学物質を対象にしますので、犯罪捜査(鑑識科学)、美術品の真贋鑑定、疾病の検査・診断などをはじめとして、産業活動全般で幅広く活用されています。しかし、このように国民生活と密着している「分析化学」の知名度は、残念ながら一般国民にはそれほど高くはありません。そこで私は、社会的に話題になった事件を切り口として、「分析化学」の原理と重要性を「分析によって知る世界」と題する放送大学の学部講義(テレビ、15回)で、2007年から年に2回(春秋)同じ内容で解説しております。因みに、第1~第4回は「分析で知るロマン」(化石は語る、金属は語る、美術品の鑑定、人類のルーツ)、第5~第8回は「分析で知る健康・病気」(DNA診断と遺伝子治療、乱用薬物の分析、バイオマーカー、薬害事故)、第9~第12回は「分析で知る食の安全」(残留農薬・遺伝子組み換え食品、環境ホルモン、BSE、食中毒)、第13~第14回「分析で知る犯罪捜査」(鑑識科学、DNA鑑定)、最終回の第15回は「分析の現状と将来〜課題と可能性」です。

 さて、昨今の社会情勢を見ておりますと、食品偽装に代表される「まやかし」や「ごまかし」、あるいは「エセ科学」的な情報が氾濫し、国民の大部分の方には何が本当で何が嘘なのかが判然としないのではないでしょうか。私ども日本分析化学会は、物質の同定、測定・計測に関するプロフェッショナルな集団です。社会を騒がすこの種の問題には相当な確率で物質が関与していますので、私どもはこの道のプロとしての社会的な責任を果すためにも、今後は学会としてきちんとした見解を社会に発信する義務があると考えます。また、在任の2年間では、一般市民の皆さんに「分析化学」あるいは「分析科学」の重要性を知って戴くと同時に、その基盤組織としての日本分析化学会を認知して戴くため、学会主催で「安心・安全に関する国民生活分析化学講演会」(仮称、無料)を開催しようかと計画しております。と言っても『学会では敷居が高いし、知った人が居ない』と思われる方も居られるでしょうから、北野 大先生(マー兄ちゃん)にもご協力をお願いしてありますので、どうぞご家族・友人とお気軽にお出かけ下さい。開催日時については、計画が出来次第、本会のホームページに掲載しますので、ご覧戴ければ幸いです。

2009〜2012年度分析化学会会長
中村 洋

東京理科大学薬学部 教授